山梨県甲府市にある甲府城(舞鶴城)は、武田氏滅亡後の豊臣政権下で、関東の徳川家康を牽制する要衝として築かれた平山城です。武田信玄の館(躑躅ヶ崎館)とは別の場所に位置し、近世城郭としての完成度が高いのが特徴で、武田信玄のイメージが強い甲府において、実は「豊臣・徳川の城」としての色彩が強いのが面白い点です。 1. 歴史的背景:武田から豊臣、そして徳川へ • 築城の目的: 1582年の武田氏滅亡後、豊臣秀吉の命により、甲斐に入った浅野長政・幸長親子らによって1580年代末から築城が進められました。これは西の豊臣と東の徳川の境界を守る「守りの拠点」でした。 • 徳川時代の役割: 関ヶ原の戦い以降は徳川氏の直轄地または甲府藩となり、将軍家にとって非常に重要な「江戸のバックアップ」的な拠点となりました。徳川家光の三男・綱重や、後の6代将軍・家宣が城主を務めるなど、親藩の中でも別格の扱いで、特に五代将軍綱吉の側用人、柳沢吉保が城主となった時期に城郭と城下町が大きく整備されました。 2. 城郭の構造と特徴 甲府城は、自然の地形を巧みに利用した総石垣の城です。 • 野面積みの石垣: 自然石を積み上げる「野面積み」が多用されており、初期近世城郭の力強さを今に伝えています。特に本丸周辺の高く積まれた石垣は見応えがあります。 • 舞鶴城(まいづるじょう)の別名: 城の形状が、翼を広げた鶴のように見えたことからこの名がつきました。 • 明治以降の変遷: 明治時代に廃城となり、多くの建物が取り壊されました。現在は「舞鶴城公園」として整備されています。 3. 現在の見どころ 再建された建造物により、当時の威容を体感することができます。 • 鉄門(くろがねもん):2013年に復元された、本丸の南西に位置する堅牢な門。内部公開されることもあります。 • 稲荷櫓(いなりやぐら):2004年に復元。城内の北東(鬼門)を守る重要な櫓で、当時の建築技法が再現されています。 • 天守台:実際に天守閣が建てられたかどうかについては諸説あります(豊臣期には天守があったが江戸期には建てられなかった等々)が、現在残る天守台からは富士山や甲府盆地を一望できます。 4.甲府城と武田氏の関係 よく混同されますが、信玄公の拠点だった「躑躅ヶ崎館(武田神社)」と「甲府城」は別の史跡です。中世の館から近世の城郭へ、支配者が変わることで城のあり方がガラリと変わった好例と言えます。 是非訪れてみてはいかがですか?😊 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 #日本の風景 #旅行 #山梨 #甲府
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